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2011年3月29日 (火)

待ちに待ったTOP M4A1

Ca3i00760001 携帯が鳴った。TOPの電動ライブカートブローバックエアーガンのM4A1カービンが入荷したと言う。前日位に店頭に並んだのは知っていたので、予想外では無かったが、昨年の8月に予約したと知り、随分待ったのを知る。確か、10月、12月、1月・・・位と随分発売が延期されて、段々何時になっても気にならない位になっていたが、以前購入したMP40も確か発売までは、相当待った記憶があるが、中々個人的にそそられる商品展開も多いので、買う楽しみを思うと気にならなくなってくる。取り敢えず困ったのは、地震後そんなに経ってなかったので、関東でも丁度ガソリン不足で自分の車も燃料がエンプティー状態で、長物だと車で取りに行くしかないので、取り敢えず、事情を説明し暫く取りに行けない旨を伝える。その後、なんとか給油出来て、手にすることが出来た。外箱がデカい。やはりバイクで取りに行くのは無理だった。オマケのソフトガンケースに合わせた外箱サイズで、ソフトケースも大きいので、ある程度のサイズの長物なら入りそう。M4本体もそのままソフトケースに収められている。バリバリと止められているマジックテープを剥がし、手にしてみると、アルミ合金とのことで、軽く出来ていて逆に扱いやすい。ちょっと無理すれば片手でも持てる。実は近年トイガンに再度興味を持ってくると、M16が何故かM4と名前を変えていて、基本は変わってないのになんで名前が違うのか解からず、それぐらい無知になってしまっていて、まぁ段々知ってきて、今回TOPのM4を手にしてみると、それまではM16は昔買ったし目新しくもないやと言うことで、ガスブロなどちょっと気を引く商品もあったが、いざ手にしてみると、M16時代よりも、とても改良熟成しているのが、良く分かる。実際の所は、電動ライブカートと言う部分にとてつもない魅力を感じたので、モデルアップはAKでもなんでもよかったが、手にしてみると、M4はM16より扱い易くて良いのが実感できる。

Ca3i00770001 過去に持っていたM16のトイガンのは、国際の金属M16、MGCのコマンドCAR-15、国際のスーパーウェポンシリーズのM16なので、もう随分前の話。国際の金属M16は、なんとも未来的な形の面白みのないモデルガンであまり好きではなかったけど、結構貴重なモデルガンだったよう。MGCのはM4の祖先と言える全長を短くしたタイプなので、マジソンバックに入れて学校に持ってって友達と遊んだものの、紙火薬仕様で連射ともなると快調に作動した記憶もなかったけど、長物がおいそれと買える年でもなかったので、持ってるだけで嬉しかった。上記両者とも、グレー塗装の本体だったので実物の仕上げは良く分からなかったけど、後のMGC20周年記念モデルのM16や、マルシンのXM177とかが出てくると、ブラックタイプになっていて、精悍なイメージだった。MGC記念モデルはカタログ見た記憶では、本体が黒々とした塗装のイメージで、マルシンのもキットだと本体塗装用スプレーが付属していて、何か分からないままM16はガンブルーご法度なイメージがあった。国際のスーパーウェポンはMGCから雑誌で叩かれてたが、リーズナブルだったけど、プラ製で軽く、ギシギシしたしなり感もあったり、性能的に今一つだった。随分長くなったM16の思い出で、今回は、それ以来の所持となるので、操作してみると、一言、楽しい!。当初ジャムったので、これはイベントで試射し時のように、時折ジャムになるかと、思いきや、あたりが付いたのか、今では、30発フルオートで撃ち切っても全部カートをばら撒くことが出来る。ジャム皆無。こりゃ凄い。楽しい。と言う訳で、前ふり長すぎて、また次回に。

2011年3月13日 (日)

大地震、その時自分は

まずは今回の大地震で、亡くなれた方、ご冥福をお祈りいたします。 

また救助を待たれている方、一刻も早く救出して頂けるよう願っております。被災されている方も早く落ちつかれるようにと思います。

自分は只の帰宅難民でしたが、周りの様子も平常とは随分違いましたので、自分の記録として、その時自分の周りで何があったか、忘れずに留めておこうと思い、その場でのことを書いていきます。

11日12時半頃

当日、ツーリングで小田原に宿を取り、愛車FATBOYで家を出発。一時間ちょい位で順調に横浜市鶴見区のハーレー店に入る。

3時過ぎ

Ca3i0060 地震から約10分くらいたった時の画像。戸塚区のハーレー店に寄った、正にこのお店に入った時に、物凄い横揺れを感じ、最初は風にあおられてるのかとも思ったが、地震と気づたときに、物凄い揺れにヤバイとい思いサイドスタンドをなんとかかけ、足で踏ん張ってた。揺れがおさまるまで、体感で一分間位だったか、後で知った横浜の映像を見たら、まだ自分のいた所は店舗の関係で建物による被害がなくて助かりました。 店の人も外に退避していて、分かったのは、電気が直ぐに止まってしまったこと。水道は大丈夫でした。携帯のワンセグで確認したところ、見たときは三陸沖が震源地で猪苗代震度7と言う情報、横浜とはあまりにも離れているので、その時広範囲なのを知り、地元にも連絡するも連絡つかず。その後頻繁に入る携帯の緊急地震速報もこの時は、流れなかった。 その後、小田原まで50キロ位を目指すも、まったく甘い計算だった。

道路を走っていると、まず信号機が付いていたり消えていたり、消えている信号機の方が、多い。 大きな交差点はすでに警官が交通整理していたりするが、誰もいない点かない信号機はお互い譲り合いか、一般のボランティアの人が誘導している。おかげで事故は見なかったが、時折、パトカー、救急車、消防車。ガスの緊急車両などが行きかう。 まだ明るい時間なのに人がいっぱい外に出ている。 余震を警戒してるのもあると思うが、あとで気付いたのは建物の中は、電気が点くかなくて暗くて外に出てたのかと思う。 そのうち、渋滞も始まり、日も落ち始め、停電のせいで、お店が開けられず、コンビニ、ガソリン、などほとんどのお店が開いてないことに気づき、ガソリンが大分減ってきたので入れようにもお店が、開いてない。 電気が止まると、コニビニのレジやGSの給油機も動かないのも原因だろう。 こんな被害は予測してなかったが、小田原を目指すにも1キロ動くのに1時間位はかかっていて、どうにもならないので、携帯で宿をキャンセルし、とりあえず、その時一番近かった市街地の鎌倉を目指す。 GSの給油機に停車して復旧を待つ人。スーパーで復旧を待って並ぶ人など目立つ。

午後6時位

その時点で、鎌倉までは約6キロ。たいした距離ではないが、道が狭く、とてつもない時間がかかる。路肩はスクーターはすり抜けなどしてたが、自分のでは、ある程度の隙間が無いとすり抜けは無理なので車よりはましなものの、イメージ、5メートル走って2,3分止まるようなイメージ。路肩は鎌倉駅方向へ向かう人、鎌倉から歩いて帰る人、引っ切り無しに通る。それぞれ何キロ歩くんだろうか。 兎に角道が狭い。片側一車線で歩道なし。いよいよ燃料が危なくなってきたので、アイドリングで走行停止中はエンジンを切るようにする。股下のエンジンが異常な熱気を放っている。こんな時は空冷キャブ仕様はヤバイ。ゴーストップを繰り返しセルを酷使し過ぎた為、エンジンのかかりが悪くなる。鎌倉まであとどれ位で市街地に入れるのか全く見当がつかない。 途中、入口に車が入れないポールが立っているお寺が有り、ここで夜を明かそうかと考える。その先は、かなりのスペースが有り、バイクは入れるポール間隔だが、誘惑に負けず決断して先を目指す。踏切では遮断機がおりたままで、警報機が鳴り続けだが電車は動いていない。ボランティアの方が、遮断機を上げて車や人など通していた。 そんな中で、ふと一般家庭に電気が点いているのに気付く。 次第にお店や、自販機も電気が点いてて電気の復旧を確認して、それまで車のライト以外真っ暗だった景色に、明かりを見るだけで、ちょっと安堵する。正にこの頃鎌倉に電気が復旧したらしい。

午後9時過ぎ

Ca3i0061 なんとか鎌倉駅近辺に到着し、ついに予備タンになっていたので広場で駐車して、時間も時間だしここで泊ろうと思い、歩いて宿を探すものの、みんな考えることは同じ。どこも満室の張り紙。宿泊を諦めコンビニで食べ物をこの日、初めて食す。パン、弁当と言った物は売り切れだが、ある程度の食品は選べる。ファミマでお茶、揚げ出し豆腐、レンジで温めのブリトーみたいな物、ケーキを買う。何でもいいから、お菓子みたいな物じゃない物が食べられればそれでいいとだけ、その時は感じた。少々腹は満たされたが、予備タンに入ると、10キロ前後の航続距離と考えなければならず、警察署で聞いた給油所に近づくと、何と、やってる!!!。これはありがたい。感謝の勢いでそれほど待たずに給油してもらう。救われた思い。これで家までは帰れるので、もう泊まりは諦めたので、朝方になってもいいから、家まで帰ろうと決める。 この時点で家族、親戚など一部連絡が取れる。街の公共的なビルに帰宅難民と思われる人が多数見える。誘いか張り紙や非常アナウンスでもあればそこで夜を明かしたかもしれないが、状況は良く分からない。ガソリンを入れられたため、帰れるだけで気持ちが少し晴れてきた。それまでとは打って変わって道は空いていた。途中横須賀に行くまでの国道134号は沿岸部に隣接しているため通行止めもの標識を見るが、そのまま進んで行くが、海が直ぐ近くに見えるものの、通過は出来たので横浜にまた戻ってくる。電気は復旧してるが、GSなどやっていたり、お客が待っていたりと状況はまちまち。国道16号線のラーメン屋さんで開いてる店で、並んで待ってる人がいる。行列店で食べたいのか、コンビニは開いてても何も無いためなのか、分からない。

12日午前0時過ぎ

Ca3i0063 横浜に近づくにつれ、また次第にペースが遅く渋滞が始まる。そしてまたセルが弱くなり、ついにバッテリーが死んでしまう。バイクは300キロ超の車重で重いうえ坂道でもなく、体力も落ちていて押し掛けを二回試してみるも無理。仕方ないので、取り敢えず路駐する。不動になった所がたまたま伊勢佐木町で繁華街だったこともあり、動かない以上もうここで過ごすしかないので、宿を探す。お店は開いていて暫くの時間、食べ物には困らない。街の感じは何事も無いような雰囲気。 だがどこもやはり満室。 ネットカフェなんか人がずらっと並んでる。 困り果ててさあて野宿かと覚悟して、ふらっと入ったカプセルホテルがたまたたまキャンセルで空き有り!。疲れ果てていたので、カプセルホテルは泊まったのは初めてだったが、もう寝られるだけで嬉しい。ローソンとファミマで食品とアルコール系を買う。どちらの店でも「7-11」で言うブリトー的な物は、ここでも残っていたので、また食べる。買えたのはラッキーだったのか人気が無いのか、分からない。ご飯として不具合なく満足。Lチキも買えた。ラーメン店やカレー店など食べようと思えば開いていた。 そのまま持ち込みでホテルに戻り、狭い空間で飲み食いを済ませ、泥のように眠る・・・つもりだったが、今度は朝方まで時折入る携帯の緊急地震速報が入る。 ビルで寝たせいか、ここでは余震のようなものはほとんど感じなかった。朝方、家族と連絡を取り、千葉県では時折、余震を感じると聞く。

12日10時過ぎ

Ca3i0064_2 朝、路駐の愛車が無事だったのに安心して、バッテリーが回復してるのを期待したものの復活せず、もうどうしようかと思案して、なんとか近くのディーラー店のHD横浜さんに来ていただき、無事帰宅することが出来た。バッテリーの交換で済んだ。直った。有りがたい。ホント。 感謝いたしております。画像閑散としたイメージですがお店が開店しだすと、普通に人ごみが出来て何事もないように、活気がある。お昼過ぎには動ける運びになり、帰路につき、東京の道もも流れていたり渋滞だったり全て一般道で帰ったので時間もかかったが、家に帰れるだけでとてもありがたかった。 家では、物が散乱し、壊れたり、ガラスが割れたりなど片づけに時間がかかったが、テレビを見ると、こんなこと実はたいしたことないことだった。 余震もあるわけで震災が終わったわけでもなく、これからもまだ不具合はありそうだ。 ひとまずは家に帰れて気分は落ち着いた。

2011年3月 3日 (木)

80,000アクセス

Ca3i0055_2 当ココログが、累計アクセス数が八万を越えました。正確に書くと暫く経ってまして、八万一千ほどになってます。 お寄り頂きありがとうございます。happy01

それで、乾杯!・・・と言うわけでもないですが、丁度、試供品で、画像のAsahi の発泡酒、「一番麦」をもらったので、使わせて頂いて、宣伝しちゃいます。

ビールは高いので、買うなら、発泡酒や第3のビールを選んでしまいますが、この一番麦は麦芽と大麦で麦100%ということで、麦の味がしっかり出ていて、おいしいですね。wine 最近は第3・・・人気で発泡酒は減少というのも、こういった税制の関係で努力して新商品が開発されているからなんでしょうね~。

しかし、色々な規制があって、その枠の中で、意外なヒット商品を開発した人は偉大ですね~。自分も分野は色々、発泡酒から、軽自動車、モデルガン、エアーガンなど考えると、多々馴染んでますね。

話はそれましたが、またこれからも不定期に書いていきますので、よろしければお寄りください、

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