まずは今回の大地震で、亡くなられた方、ご冥福をお祈りいたします。
また救助を待たれている方、一刻も早く救出して頂けるよう願っております。被災されている方も早く落ちつかれるようにと思います。
自分は只の帰宅難民でしたが、周りの様子も平常とは随分違いましたので、自分の記録として、その時自分の周りで何があったか、忘れずに留めておこうと思い、その場でのことを書いていきます。
11日12時半頃
当日、ツーリングで小田原に宿を取り、愛車FATBOYで家を出発。一時間ちょい位で順調に横浜市鶴見区のハーレー店に入る。
3時過ぎ
地震から約10分くらいたった時の画像。戸塚区のハーレー店に寄った、正にこのお店に入った時に、物凄い横揺れを感じ、最初は風にあおられてるのかとも思ったが、地震と気づたときに、物凄い揺れにヤバイとい思いサイドスタンドをなんとかかけ、足で踏ん張ってた。揺れがおさまるまで、体感で一分間位だったか、後で知った横浜の映像を見たら、まだ自分のいた所は店舗の関係で建物による被害がなくて助かりました。 店の人も外に退避していて、分かったのは、電気が直ぐに止まってしまったこと。水道は大丈夫でした。携帯のワンセグで確認したところ、見たときは三陸沖が震源地で猪苗代震度7と言う情報、横浜とはあまりにも離れているので、その時広範囲なのを知り、地元にも連絡するも連絡つかず。その後頻繁に入る携帯の緊急地震速報もこの時は、流れなかった。 その後、小田原まで50キロ位を目指すも、まったく甘い計算だった。
道路を走っていると、まず信号機が付いていたり消えていたり、消えている信号機の方が、多い。 大きな交差点はすでに警官が交通整理していたりするが、誰もいない点かない信号機はお互い譲り合いか、一般のボランティアの人が誘導している。おかげで事故は見なかったが、時折、パトカー、救急車、消防車。ガスの緊急車両などが行きかう。 まだ明るい時間なのに人がいっぱい外に出ている。 余震を警戒してるのもあると思うが、あとで気付いたのは建物の中は、電気が点かなくて暗くて外に出てたのかと思う。 そのうち、渋滞も始まり、日も落ち始め、停電のせいで、お店が開けられず、コンビニ、ガソリン、などほとんどのお店が開いてないことに気づき、ガソリンが大分減ってきたので入れようにもお店が、開いてない。 電気が止まると、コニビニのレジやGSの給油機も動かないのも原因だろう。 こんな被害は予測してなかったが、小田原を目指すにも1キロ動くのに1時間位はかかっていて、どうにもならないので、携帯で宿をキャンセルし、とりあえず、その時一番近かった市街地の鎌倉を目指す。 GSの給油機に停車して復旧を待つ人。スーパーで復旧を待って並ぶ人など目立つ。
午後6時位
その時点で、鎌倉までは約6キロ。たいした距離ではないが、道が狭く、とてつもない時間がかかる。路肩はスクーターはすり抜けなどしてたが、自分のでは、ある程度の隙間が無いとすり抜けは無理なので車よりはましなものの、イメージ、5メートル走って2,3分止まるようなイメージ。路肩は鎌倉駅方向へ向かう人、鎌倉から歩いて帰る人、引っ切り無しに通る。それぞれ何キロ歩くんだろうか。 兎に角道が狭い。片側一車線で歩道なし。いよいよ燃料が危なくなってきたので、アイドリングで走行停止中はエンジンを切るようにする。股下のエンジンが異常な熱気を放っている。こんな時は空冷キャブ仕様はヤバイ。ゴーストップを繰り返しセルを酷使し過ぎた為、エンジンのかかりが悪くなる。鎌倉まであとどれ位で市街地に入れるのか全く見当がつかない。 途中、入口に車が入れないポールが立っているお寺が有り、ここで夜を明かそうかと考える。その先は、かなりのスペースが有り、バイクは入れるポール間隔だが、誘惑に負けず決断して先を目指す。踏切では遮断機がおりたままで、警報機が鳴り続けだが電車は動いていない。ボランティアの方が、遮断機を上げて車や人など通していた。 そんな中で、ふと一般家庭に電気が点いているのに気付く。 次第にお店や、自販機も電気が点いてて電気の復旧を確認して、それまで車のライト以外真っ暗だった景色に、明かりを見るだけで、ちょっと安堵する。正にこの頃鎌倉に電気が復旧したらしい。
午後9時過ぎ
なんとか鎌倉駅近辺に到着し、ついに予備タンになっていたので広場で駐車して、時間も時間だしここで泊ろうと思い、歩いて宿を探すものの、みんな考えることは同じ。どこも満室の張り紙。宿泊を諦めコンビニで食べ物をこの日、初めて食す。パン、弁当と言った物は売り切れだが、ある程度の食品は選べる。ファミマでお茶、揚げ出し豆腐、レンジで温めのブリトーみたいな物、ケーキを買う。何でもいいから、お菓子みたいな物じゃない物が食べられればそれでいいとだけ、その時は感じた。少々腹は満たされたが、予備タンに入ると、10キロ前後の航続距離と考えなければならず、警察署で聞いた給油所に近づくと、何と、やってる!!!。これはありがたい。感謝の勢いでそれほど待たずに給油してもらう。救われた思い。これで家までは帰れるので、もう泊まりは諦めたので、朝方になってもいいから、家まで帰ろうと決める。 この時点で家族、親戚など一部連絡が取れる。街の公共的なビルに帰宅難民と思われる人が多数見える。誘いか張り紙や非常アナウンスでもあればそこで夜を明かしたかもしれないが、状況は良く分からない。ガソリンを入れられたため、帰れるだけで気持ちが少し晴れてきた。それまでとは打って変わって道は空いていた。途中横須賀に行くまでの国道134号は沿岸部に隣接しているため通行止めもの標識を見るが、そのまま進んで行くが、海が直ぐ近くに見えるものの、通過は出来たので横浜にまた戻ってくる。電気は復旧してるが、GSなどやっていたり、お客が待っていたりと状況はまちまち。国道16号線のラーメン屋さんで開いてる店で、並んで待ってる人がいる。行列店で食べたいのか、コンビニは開いてても何も無いためなのか、分からない。
12日午前0時過ぎ
横浜に近づくにつれ、また次第にペースが遅く渋滞が始まる。そしてまたセルが弱くなり、ついにバッテリーが死んでしまう。バイクは300キロ超の車重で重いうえ坂道でもなく、体力も落ちていて押し掛けを二回試してみるも無理。仕方ないので、取り敢えず路駐する。不動になった所がたまたま伊勢佐木町で繁華街だったこともあり、動かない以上もうここで過ごすしかないので、宿を探す。お店は開いていて暫くの時間、食べ物には困らない。街の感じは何事も無いような雰囲気。 だがどこもやはり満室。 ネットカフェなんか人がずらっと並んでる。 困り果ててさあて野宿かと覚悟して、ふらっと入ったカプセルホテルがたまたたまキャンセルで空き有り!。疲れ果てていたので、カプセルホテルは泊まったのは初めてだったが、もう寝られるだけで嬉しい。ローソンとファミマで食品とアルコール系を買う。どちらの店でも「7-11」で言うブリトー的な物は、ここでも残っていたので、また食べる。買えたのはラッキーだったのか人気が無いのか、分からない。ご飯として不具合なく満足。Lチキも買えた。ラーメン店やカレー店など食べようと思えば開いていた。 そのまま持ち込みでホテルに戻り、狭い空間で飲み食いを済ませ、泥のように眠る・・・つもりだったが、今度は朝方まで時折入る携帯の緊急地震速報が入る。 ビルで寝たせいか、ここでは余震のようなものはほとんど感じなかった。朝方、家族と連絡を取り、千葉県では時折、余震を感じると聞く。
12日10時過ぎ
朝、路駐の愛車が無事だったのに安心して、バッテリーが回復してるのを期待したものの復活せず、もうどうしようかと思案して、なんとか近くのディーラー店のHD横浜さんに来ていただき、無事帰宅することが出来た。バッテリーの交換で済んだ。直った。有りがたい。ホント。 感謝いたしております。画像閑散としたイメージですがお店が開店しだすと、普通に人ごみが出来て何事もないように、活気がある。お昼過ぎには動ける運びになり、帰路につき、東京の道も流れていたり渋滞だったり全て一般道で帰ったので時間もかかったが、家に帰れるだけでとてもありがたかった。 家では、物が散乱し、壊れたり、ガラスが割れたりなど片づけに時間がかかったが、テレビを見ると、こんなこと実はたいしたことないことだった。 余震もあるわけで震災が終わったわけでもなく、これからもまだ不具合はありそうだ。 ひとまずは家に帰れて気分は落ち着いた。
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